《
自我(wikipedia)》
(以下の記述はかなりざっくりとした文章で、まだかなり大雑把なスケッチ原稿の部分が大半の状態)
ユングは無意識は個人性無意識と集合性無意識の両部分があることを指摘しています。
集合性の部分は神へのイメージなど普遍的なアイデアで人間に共通する部分です。
ここにあらゆる原型(archetype)も含まれます。
集合的無意識と自我が同化し、自我が不当(不自然)に大きくなってしまう現象を"自我肥大"と呼ぶようです。
これは例えば
(1)自分と神が同一であるというアイデアから抜け出せない状態
があるでしょうし、
もっと現代的にいえば集合的無意識は社会一般通念も含んでいるので
(2)社会的ペルソナと自我が一体化した状態
これは仕事と自意識を完全一体化させて自己の大きさを非常に小さくしてしまう状態(社会的ペルソナで自己を覆い隠す状態)
も、自我肥大の例です。
ユングの分析心理学はあらゆる精神的な構造体から自己を独立させ、自由にする試みです。
アニマとアムニスというのは無意識の異性像の原型であり、
たとえば主体が男性の場合、理想的な伴侶の像、となるでしょう。
これと自己を分離できていない、ということはその人の心の状態がまだ(心の性の問題に関して)未発達であるということを意味し、
もしそのままで継続してゆくなら対応する人間関係、この場合は異性関係、に対してなんらかの毀損が起こることが予測される、というふうに分析されるわけです。
自我がアニマ(アムニス)を克服した場合は、自我はその吸収したアニマ(アムニス)の構造的なエネルギーをそのまま引き継ぐ形となります。
いいかえれば、次の進化のための自我肥大が起こります。この肥大した状態がマナ人格と定義されます。
それは老賢人や勇者・・・とあるが一番わかりやすい言い方で言えば「覚者」、見性した人、世界の真理を見抜いた人、そういう人一般、神様みたいにヒゲを生やした老人、・・・《いかにもそういうふうな感じで、そういう条件を満たした、そういう人》
の《集合的無意識的人格像》です。
そして、もし、自己を、このマナ人格と分離できた場合は、それは、ユングの分析心理学ではゴールまで来ています。それは《個性化》というステージとして名前が付いています。
それをいわゆる悟りの状態と同一視するのは妥当だと思います。