``第二次大戦前フランスにわたり、抽象美術運動、シュルレアリスム運動を体験。代表作品に太陽の塔、明日の神話ほか多数。''
熱とエネルギーと決意と生きる生命力に満ちた岡本太郎の発言をまとめます。よかったら読んでみてください。
-芸術は爆発だ。
この言葉の意味は結構時間をかけないとわからないと思います。すごく深くて大きなことをいっています。広くて大きなことを言っている言葉は、必ず理解するのに時間がかかります。
-危険だという道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
この人はスリリングな生き方が好きなんですね!これはこの人の好みです。でも、ここで指摘しているのは、そういうことだけではないんです。危険っていうのは、ぶっちゃけ全部のことです。すべてのこと全部。これを危険と呼んでいます。なんでかっていうと、ぶっちゃけ危険っていうのはイコール全て、自分以外全てのことを指す言葉と本質的に同じだからです。
だから、この言葉って、「すべてのいのちは、自分の行きたい道をいくべきだ。大丈夫だ」。ってい言葉と同じです。
同じなんですけど、でも、このことばは響き的に違う印象に聞こえるはずです。
これはエゴがそういう響き方にしています。エゴの形に反響してそういう響き方をしているっていうことです。人間だと全部そういう聞こえ方します。
そういうこと全部知ってる上で岡本太郎は上のことばを創りました。もう本当聞こえ方とか全部分かった上で、そういうことばにしたということです。
-自分らしくある必要はない。むしろ、人間らしく生きる道を考えてほしい。
すごく大切なことを言っていると思います。これは言葉自体だけをそのままとってはだめだと思います、このことばを聞いた時、何を思うか、何を感じるか、
それ自体が、それが彼の言っているないようです。こういう人のことばはこういう解釈のしかたをしないと正しく理解できないことが多いです。でも変な聞こえ方したらこっちの解釈なので、それは絶対いつもそうなのでこの解釈のしかただけ身につけていれば正しい意味がいつもわかるようになります。
-僕だってしょっちゅう行き詰っている。行き詰った方が面白い。それを突破してやろうと挑むんだ。もし、行き詰らないでいたら、ちっとも面白くない。
-自分自身にとって一番の障害であり敵なのは、自分自身なんだ。その敵であり、障害の自分をよく見つめ、つかんだら、それと闘わなければいけない。戦闘開始だ。
行き詰まったほうが面白いって自分で断言するところに仕組みがあります!
-人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。僕は逆に、積み減らすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
これもこのことばを聞いた時に起きる心の現象自体が重要だと思います。この言葉自体はたいしたことを言っていないです。マジックを込めたことばの組み合わせで心の現象を起こしています。そういう事実を古い歴史ではことばは魔法だと言っています。魔法っていうのはSpellでSpellは綴り、つまりこどばのことです。西洋文明はキリスト教を基本にして成立しているのでこうなっています。
この事実は聖書に書いてあります。もとはエメラルドタブレットという書物(?)で初めて書かれたようです。それが聖書にコピーアンドペーストされた模様です。
-画家にしても、才能があるから絵を描いているんだとか、情熱があるから行動できるんだとか人はいうが、そうじゃない。逆だ。何かをやろうと決意するから意志もエネルギーも噴き出してくる。何も行動しないでいては意志なんてものありゃしない。
-自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから何もできないんじゃないか、なんて考えるのは誤魔化しだ。そういって自分がやらない口実にしているだけだ。才能なんてないほうがいい。才能なんて勝手にしやがれだ。
-自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
-自分を他と比べるから、自身などというものが問題になってくるのだ。我が人生、他と比較して自分を決めるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、脇目もふらず突き進むだけだ。
-人生、生きるということ自体が、新鮮な驚き、喜び、新しく開かれていく一瞬一瞬であり、それは好奇心という浮気っぽいもの以上の感動なんだ。
単に好奇心を持って生きるということばだったら心は自由なる効果はないです、こういう風に自分本意に生きていいということです。自分ひとりのときに自分本位になることは何も悪くないでしょう、
そんなことは事実なのですが、ふつうわからないので、説明しているわけです。
-人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。夢がたとえ成就しなかったとしても、精一杯挑戦した、それで爽やかだ。
-本当に生きるということは、いつも自分は未熟なんだという前提のもとに平気で生きることだ。それを忘れちゃいけないと思う。
何の道に生きているのかはわかりませんが、つねに何かの向上に追われていると思います。それはこの社会がそういう仕組みになっているからです。向上に追われる焦りは、持ちたくなければ、持つ必要はないです。それを選択することは全部自分の自由です。
-農作業でも、コンピュータの操作でも、強制された労働としてやれば苦役だが、自由な遊びとして創造的に取り組む限り、それは喜びだ。
仕事に関することを言っていますね。どんな仕事も必ずそれを楽しんでいる人が必ずいます。それはそういう心の姿勢でやっているからです。少しも不思議ではないです。自分の心を楽にするのは自分の自由です。これは当たり前の話です。農作業は楽しいです。コンピューターの仕事、プログラミング、これも楽しいです。楽しくないとしたら、それを楽しくないとする、何かの心の原因がそこには必ずあります。
現象が起きたとき、そこにはかならずそれを起こした原因があります。だからなにか苦しみが起きた時、それを起こしている原因があります。それをどかしてしまえばいい。
-人間は誰もが未熟なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。僕に言わせれば、弱い人間とか未熟な人間の方が、はるかに膨れ上がる可能性を持っている。熟したものは逆に無抵抗なものだ。
-夢を見ることは青春の特権だ。これはなにも暦の上の年齢とは関係ない。10代でも、どうしようもない年寄りもいるし、70、80になってもハツラツとして夢を見続けている若者もいる。だから年齢の問題ではないが、青年の心には夢が燃えている。
70歳のおじいさんが青春して、なにが問題なんですか?問題ないでしょう、
でも、それを、自分自身の問題として適用すること、それを言っているわけです、これは全く当たり前の問題ではないです、すごく大きな奇跡が起きる言い方です、
他人が良かったら、自分も同じように良くなっていい、これを言っているわけです、
言い換えれば、それを深く自分自身に適用すること、それを1回はやってみましたか?そういう質問をしているわけです!これはすごい問いかけです。
-「いまはまだ駄目だけれど、いずれ」と絶対に言わないこと。「いずれ」なんて言うヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
現在主義です。
-何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目ばかりでなく、自分の目を気にしないで、委縮せずありのままに生きていけばいい。これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切だ。つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に、制約を受けないで生きていく。そうすれば、何か、見つけられるチャンスがおのずから開けてくる。一日も早く実行してみるといい。
他人の目を気にしない、っていうのはそのまま真理の悟りです。ほとんど気にしないのと、気にする度本当の0は全く違くて、気にする度本当にゼロになったらそれは悟りです。
だからまずは、今の自分が、つまりは、もっと正確に言うと自分のエゴということですけど、それがいま、例えば他人を気にする度65パーセントだったとして、まずはその65という数字を認識して、正しく、そうなんだとまずは認めて、次は、35にしよう、うん、それがなれたら、15にしよう、ってやっていけばいいだけです。認識したら本当に簡単なことです。認識していないとしたらそれはやってみればいいだけです。
-いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。そうふっきれたとき、僕は意外にも自由になり、自分自身に手ごたえを覚えた。
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現在主義!
-僕は生きるからには、歓喜がなければならないと思う。歓喜は対決や緊張感のないところからは決して生まれてこない。
-多くの他人との出会いによって、人間は「他人」を発見する。「他人」を発見するということは、結局、「自己」の発見なのだ。つまり、「自己」を発見するためには、大勢の協力者が必要になる。
-人間には、自由という条件が必要だ。自由というのは、たんに気楽にやりたいことをやるのではない。そうではなく、できるかぎり強烈な人生体験を生きるのが、自由の条件だ。
-自由に、明朗に、あたりを気にしないで、のびのびと発言し、行動する。それは確かに難しい。苦痛だが、苦痛であればあるほど、たくましく挑み、乗り越え、自己を打ち出さなければならない。若いときこそそれが大切だ。この時代に決意しなければ、一生、生命は開かないだろう。
-才能のあるなしに関わらず、自分として純粋に生きることが、人間の本当の生き方だ。頭がいいとか、体がいいとか、また才能があるなんてことは逆に生きていくうえで、マイナスを背負うことだと思った方がいいくらいだ。
要は一言で言えば「悟っちゃえよ」って言っているだけです。だけなんですが、そういってもまったく伝わらないし(彼は悟ってるのでそれをしって話してる)、こうやって一生懸命いろいろ説明してくれているわけです、
自分として純粋に生きるというのは、例えばチューリップの球根として生まれたひとがチューリップとして咲くって意味と同じです。
これが本当にスタートで本当にゴールとなるようなエゴのテーマです。
別の言い方をすれば、チューリップの球根にうまれたいのちが、別の花をめざさず、ちゃんと最後までチューリップとして咲く、そしてそれから生きて行く、それが実は引き寄せの法則なんですが、
そのことの意味が本当にわかること、これは経験すること、体験すること、実感することとイコールなんですけど、つまり、それを自分のこととして実感すること、
あ、私もそうなんだ、ほんとうに、このわたしもそうなんだ、と感じること思うことが、一つの現象って意味です。そこがここで書いているクリティカルなところってことです。
いっぱい、言葉をつくって、いろいろ組み合わせて、魔法の言葉を、これは絵を描くことと本当に同じなんです、彼は画家ですからね、でも、実は同じで、彼は画家だから早くそれに気づいたということですけれど、
そういう人の心を自由にする言葉を一生懸命人のためにたくさん残してくれて愛すべき岡本太郎は亡くなくなりました。