忍者ブログ

潜在意識研究所

癒し、潜在意識浄化、悟り、引き寄せの法則のまとめブログ

仕事or趣味の二元論に非ず。横山剣が音楽と天秤にかけるほど好きだった仕事

横山剣さんは、クールスRCでプロデビューしたのが1981年、4枚目のアルバムをリリースする2002年までの21年間、仕事と並行して音楽活動を行いました。
 
普通、ミュージシャン志望の若者は仕事はバイトとして下積み時代だけ仕方なくするものです。横山剣さんの仕事に対する姿勢は全く違ったようで、それがプロとなった今も音楽性の違いにも表れているようです。






「音楽だけでもギリギリ食べていけるけど、食べていくだけで精一杯というんじゃダメなんですよ。海外旅行に行ったり、趣味のクルマやバイクをカスタムしたり、お洒落を楽しんだり、機材を充実させたり、豪華ストリングスを起用したり、ステージセットに凝ったり、音楽の自由を得るためにレーベルや事務所を運営したり、とにかく何をやるにもいちいちカネがかかる」
 
「だからどんなにキツくても、それなりに稼げる仕事をやんなきゃ理想の音楽を実現できないと思ったんですよ。で、音楽以外の仕事をしながら感じたことが、そのまま曲のネタになったり、いろんなアイデアのもとになったりするんだから。楽曲というものは必ずしも音楽からの影響で生まれてくるものではないからね。暇を持て余しても楽曲は出てこない。外に出て感受した刺激がやがて音楽に変換されるんだからね。そう考えてずっと音楽以外の仕事をしてきました」

剣さんがこれまで勤めてきた会社は海外貿易や車の陸送などさまざまですが、どの仕事も自分の趣味と実益を兼ねているものだったそうです。
仕事はどちらにしろ生活の時間の多くを割くものですから、その時間の判断にも手を抜かないというのはほんとうに賢い判断だと思います。

★仕事が音楽に還元される

「1994年から2002年まで、一番長く働いたのがSGS FAR EAST LTDという外資系の検査会社。輸出相手国政府の要請で貨物の数量、品質、提出書類など、荷物の検査をするんですが、外資系だけあって会社の雰囲気やレターヘッド、ドキュメントにいたるまで異国の文化が感じられて最高でしたね。その前は中国の物産を扱う中国貿易公司という会社で働いていましたし、昔から異国情緒というのが好きだったんですよ。だから長く続いたというのがあります」

すごく賢い仕事の選び方をしていらっしゃいますね。そして、無意味にひとつの仕事を続けたりもしていない。続ける理由があるから、続ける。いいかえれば、自分の人生をとても大切にしている横山剣さんが8年続けるほどフィット感のある職種を彼自身は見つけられたということですよね。素晴らしい判断力だと思います。

剣さん自身の嗜好でもあるエキゾチック路線は、仕事のなかでより高められ、自身の作る音楽に還元されてきた。長く続けていた仕事が、音楽にとって重要なキーになっていたということです。

「上司は理解があってバンド活動を応援してくれていたんですよ。『早く音楽だけで食えるようにならなきゃダメだよ』とか言ってくれて、ライブも見に来てくれました。その人には強烈に憧れていましたね。かっこよくて“不良”で、ハーレーのチームのボスだったりするんですが、アメリカのいい大学を出ていて、昼間はビシッと仕事しているんですよ。その人にほめられたくて、仕事をがんばっていたところもありましたね」

仕事の中で出会える人間関係も宝物の連続ということを、横山剣さんはちゃんと見逃しませんでした。

「検査の仕事は、動物的な勘が養えるんですよ。たくさん荷物があるなかで、なんかあれが怪しいなって思ってチェックしてみると、中身の数量が違っていたり申告書類と違うものが入っていたり、感受性が鍛えられましたね」
 
「港っていうシチュエーションもよかったですね。車通勤だったんですが、駐車場に入って勢いよくギャッて駐めたり、夜は港をぼんやりと眺めたり、自分に酔えるところがあったんですよ。陸送の仕事をしているときもそうでした。トラックを運転しながら気分は『トラック野郎』の菅原文太さん。仕事しながら脳内ではゴッコ遊びをしているんです。そんななかから新しい曲ができたり。当時は仕事しながらたくさん作りましたね」
仕事している自分のカッコよさに酔うって、ほんとうに楽しいですよね〜〜。

最終的に、横山剣さんは、プロとして音楽一本に絞る決断をしました。その判断をした重さも、それまでの真剣な判断の連続からの必然があったということです。

「興味のない人を捕まえて買ってもらうのは、ものすごく快感ですよ。ずっとサラリーマンをやっていて、お金をもらうということがいかに大変かが分かるので、今も一日一日が一生懸命ですね。明日には自分のポジションもどうなるかわからない商売。それはどの業界でも同じだと思います」
「音楽を『商売』として捉えるのは決して悪いことではないと思いますよ。むしろ、その緊張感によってクオリティが高まるから。想いを込めて一生懸命やっていれば、誰か気づいてくれる人がいて引っ張っていってくれる。サラリーマンも同じですね。なりふり構わずできることを精一杯やっていれば、誰かが気づいてくれるだろうし、気づいてくれなきゃ強引に気づかせてやる。そうすれば、道も開けると思いますよ。僕も30、40代は暗中模索で、ただ一生懸命にやっていただけでしたから」
 
横山剣さんが会社を辞めたのは2002年、42歳のとき。それがクレイジーケンバンドは魅力を生んでいます。
「仕事or趣味」の二元論に非ず ~横山剣の仕事論~》より。

PR